野茂英雄が引退を表明したという。近鉄入りした1989年以来、そしてLAドジャーズへ渡った1995年以来、野茂が僕らに与えてくれたものを、僕らははっきりと理解しているだろうか。『コミック・キュー』の第1号だったか2号だったか、安達哲が荒んだ青年の心理雑記風の短編を書いていて、その中に、新宿アルタの巨大スクリーンに映し出された野茂のニュース映像を見上げた主人公が「ノモ……」とつぶやくシーンがある(この話は、たぶん単行本には入っていないと思う)。真島昌利は「こんなもんじゃない」という壮絶な曲で、<知ったかぶりで得意になって/心に風も吹きゃしない>と歌ったけれど、僕にとって野茂はいつも夏の一陣の風だった。 『僕のトルネード戦記』のなかで、野茂は自分の得意球であるフォークについて、<わかっていたって打てるもんじゃない、そんなヤワな球じゃないんですよ>と語っている。ずっと前、とんねるずの石橋貴明が野茂との会話について喋っていた。あるとき、野茂に「俺たちよりも面白いコメディアンはたくさんいたが、俺たちが成功したのはラッキーだった。正直、君も運が良かったと思うでしょ」といった意味のことをいったら、野茂は気色ばんで、「違いますよ石橋さん、実力ですよ」と切り返したという。僕もいつか、そんな台詞を言ってみたい。
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3月の終わりにニューヨークから帰ってきたとき、3つの大きなスーツケースのうち1つは成田から宅急便で自宅に送り、あとの2つをひきずりながら地元の駅に到達した。すると、なんとホーム改造工事中で、頼みのエレベーターもエスカレーターも動いていない! そのことを把握していずに「エスカレーターはあっちです」と指さしてオレを余分に歩き回らせた駅員にちょいと八つ当たりし、即刻反省しつつも、意を決して階段を上がり始めた。なにしろ2つとも30Kgオーバーで飛行機では超過料金を取られたスーツケースなので、いくらオレが意外と腕力が強いと言っても(高校の時、砲丸投げがクラスで2番目だった)、とても両手に提げて一気に駆け上がるというわけにはいかない。仕方なく一段ずつ、2つのスーツケースを交互に引きずり上げていた。
そして汗だくで、息も絶え絶えになりながら(←ちょいと大げさ)、何段か上がったところで、勤め帰りのサラリーマン風の中年男性が「手伝おうか?」と声をかけてきた。オレは遠慮したわけではなく、自分だけでなんとか行けると思ったので「いやいや大丈夫です」と返事をしたが、そのオッサン、もとい中年の紳士は「いいよいいよ」といいながら、片方のスーツケースを持ち上げて、どんどん階段を上っていった。オレも慌ててもう一つの方を担ぎ上げ、深々と頭を下げて御礼を言ったことは言うまでもない。そのときの、軽く笑って「もう大丈夫だね」とか言いながら去っていったオッサン、もとい中年紳士の爽やかだったことよ。――中途半端なニューヨーク生活が終わって、身も心も疲れていたそのときのオレは、本心から、ああ世の中も捨てたモンじゃねえなあ、明日からまた頑張ってやっていこう、と感じ入ったものだ。 自分の実力を超えたテーマについて書かねばならずに呻吟し続けたり、超低レベルの(=自分の低レベルさを理解する最低限の能力さえもない相手との)議論に延々付き合わされて萎えきったり、衣食足りて恵まれた人間にもまあそれなりに苦しいことは細々とあるわけだが、そんなときにどうにかこうにか生きていこうと思えるのは、そんな小さな出来事のおかげだったりする。 そういう(?)意味でオレは、五月女ケイ子のイラストが素敵な、講談社のファッション誌『VOCE』の読者コーナーが大好き。この楽しみを多少なりとも分かち合える人だけを、勝手かつ密かに「心の友」と呼びたいと思う、とまで言えば嘘だけど。 |
三浦知良が自民党の出馬要請を蹴った。ああ、これでひと安心だ。万が一、前向きに検討でもし出したら、「後生だからやめてくれ」というメールとFAXをじゃんじゃん送ろうかと思っていたところでした。
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僕が夜見る夢はほとんどが怖い夢で、真っ暗なアパートの部屋で死体と一緒に寝起きしているといったものばかりだった。あるいは誰かに追いかけられて、デパートの地下食品売り場を延々逃げ続けるとか。学生時代に一時期「夢日記」をつけたこともあるが、そんな陰鬱な夢ばかりなので、いつしかやめてしまった。楽しい夢とかエロい夢とか、そういうのが見たいのに、なかなか見ない。後者に至っては、数えようにもよるけど、いままでに2回しか見たことがない(そのうちの1回はなぜかLAで見た)。
知人や有名人が出てくることも少なかったのだが、なんとなく最近増えてきた気がする。もうずっと前に、「のりピー」と手をつないで歩いているという、珍しく明るい夢を見たことがあったが、別に彼女のファンではないので、不思議な気がした。昨日はなぜか菅野美穂とつきあっている夢を見た。彼女のことは好きだけど、やはり特別にファンというわけではない。なんでだろう。なぜか広末とか綾瀬はるかとかの夢は見ないのだ。 最近見て心に残っている夢には、なぜか伊東四朗が登場していた。どこかのビルの中の小さな文具売り場で、伊東四朗が働いている。そこにたまたま通りかかった僕は、あんなに売れていた人がこんな地味な境遇になっても、全然様子が変わらずに元気に仕事をしているのを見て、とても感心したのだった。 |
がんばれ高橋尚子! どんなにみんなが「もう限界だろ」と囁いても、僕は君を応援しつづけるぞ。2008年、北京の夏を君の疾走が切り裂くまで。
――「走る女愛好会」会員No00327 |
2006年9月11日(月) 【下】
開始予定の午後7時30分を少し過ぎて、会場の「The JCC in Manhattan」に到着。それまで「JCC」とは何の略かわからず、CとはChiristなんだろうと思っていたが、Jewish Community Centerの略だった。入り口でバックパックの中身を調べられ、金属探知機も通される。受付で10ドルのチケットを買って、地下に降りると、およそ200人ぐらいが入れるだろうと思われる会場はほぼ満員だったが、なんとか隅のほうに空席をひとつ見つけて座る。 映画Encounter Pointは、和解の礎を築くことを目指して、パレスチナ人とイスラエル人とが出逢い、語り合う場をつくり、維持している人びとの活動を描いたドキュメンタリーである。ただし、そうした活動の中心となっているのは、肉親をパレスチナ人に殺されたイスラエル人と、肉親をイスラエル人に殺されたパレスチナ人なのである。 映画の軸になるパレスチナ人の青年「Ali」は、かつて熱烈な民族主義者であり、16歳で最初のインティファーダに参加した。その後、イスラエルで投獄され、その間に弟がイスラエル兵に殺される。だが彼は出獄後、その報復のためではなく、「家族を奪われた人びと」という運動に参加し、パレスチナ人とイスラエル人との対話のために動きつづけることを選ぶのである。 印象的なのは、Aliが獄中で「たくさんの本を読んだ」と語っていたことだ。それまでは、誰かから吹き込まれた憎悪と復讐の教えしか知らなかった。しかし、獄中でネルソン・マンデラ等の本を読んだことで、<別のやり方>があることを初めて知ったのだという。 Aliが若いパレスチナ人たちと語る場で、おそらく10歳ぐらいに見える少年が「イスラエル人と戦うべきだ、僕は戦う」と叫ぶ。Aliはそれに「もちろん俺も戦うさ。ただし、非暴力という戦術でね」と応える。少年は一瞬口をつぐむ。別の誰かが「そんなのは絵空事だ」とまくしたてる。そうかもしれない。しかし、絵空事だからやらないほうが良いということが論証されない限り、Aliの活動には無限の価値が保証されている。絵空事だから――あるいは、かえって逆効果だからと言う人すらいるだろう、そういった理屈の種はいつでも見つかるものだから――何もやらないほうがよいとただ言う人は、奇妙なことだが、ふた昔前の、最低のマルクス主義者(「最低の」は関係代名詞の制限用法ですので、ご注意を)に似ているような気がする。つまり、いつか労働者階級が勝利して、さらに階級が廃絶されることは歴史法則で決まっているのだから、革命が起こるまで何もしないで遊んでいればいいということを(どうやら真面目に)信じていたらしいタイプの人びとと。 Aliのような人はそれとは正反対だ。映画の終わりのところで、車を運転しているAliがインタビューアーに話している。パレスチナ人には「絶望した市民か、酔っぱらった政治屋か、(もう一つのタイプはメモしきれなくて忘れてしまった)」しかいない。インタビューアーが「あなたはどのタイプ?」と尋ねると、Aliは「全部だろうね。クレイジーだけど、生きて行くには気が狂ってなきゃならないのかも」と言って笑った。 会場には、Ali青年は来なかったが、もう一人の主要な登場人物であるイスラエル人のRubinさんが来て、質疑応答ではユーモア溢れる口調で会場を沸かした。彼女の息子はイスラエル兵で、パレスチナ人のテロによって殺されたのだ。 そして、何より僕の印象に残ったのは、Peaceful Tomorrowsに参加しているアメリカ人の白人の女性(名前は聞き取れなかった)の話。彼女も息子をテロで殺された人だ。しかし、質問に答えて、こう言ったのだ。「私はもはや●●(息子の名)のために=に代わって(for)話をしてはいません。私は私自身として(for)語るのです」。僕がこの何年間か考えている<死者の騙り>の拒否というテーマを、これほど穏やかに超えていった人の話を、僕はもちろん初めて聞いて、しばらくは何を考えていいのかわからなかった。 死者は死者であり、すでに殺されて、いまここにはいない。だからこそ、死は無惨なのであり、殺してはならないのである。それが、戦争が悪であることの、ほとんど唯一の根拠なのではないか。僕は、ずいぶん年をとってから、あるとき「死者とは二度と会えないのだ、二度と話し合うことはできないのだ、それが人が死ぬということのすべてなのだ」ということに気づいて呆然としたことがある。その瞬間に飲み込まれるように感じた途方もない寂しさから癒されることはありえないだろう。でもそのとき、僕だけが鈍いのであって、そんなわかりきったことは誰もが知っているはずだと思った。けれども、そうだとしたら、どうしてこの世界には死者を<騙る>声がこれほどまでに溢れかえっているのだろうか。自分が死んだわけでもないのに、その絶対的な断絶をあたかも軽々と乗り越えたかのようにして、死者の声を誇らしげに代弁し、その「無念」を高々と掲げ、そうやってかれらを殺した者たちの暴力を栄光へと反転させる、真におぞましい言説の詐術に、どうして多くの人びとが付き従っていくのだろうか。「犬死」はそれほどいけないことなのだろうか。僕らはみな、土曜の夜のウィスキー一杯が原因でこの世に生まれ落ち、あたふたとはいずりまわりながら、あの優しい犬たちと同じように死んでゆくのではないか。それで何がいけないのか。憎むべきものがあるとしたら、それは犬死ではなく、犬死したと思いたくないような罪なき人びとを殺す権力者であり、それに追従する民衆の心の弱さではないのか。(なぜ、いつから若者たちは、「政治家」などという種属の言うことをバカ正直に受け止めたり、あまつさえ信じたりするようになってしまったのか。それともそれは、かつて少年だったAliが宗教政治家に先導されてインティファーダに参加したり、中国の紅衛兵たちが毛沢東と共産党の指導者たちの先導に乗って親たちを吊し上げたことを見れば、若いということの宿命的な負性なのだろうか。) 死者はけっして語らない。それが、死者が死者であるということの意味なのだから。語ることのできる死者は、じつは死者ではないのだ。「遺族」でさえ、死者の声を代弁することはできない。だからこそ、死者の遺族は、死者自身とはまた別のやり方で、深く癒えることのない傷を負うのだ。「死者の無念」を「生者」が語ろうとするなら、それはどこまでもねつ造された<騙り>でしかない。そしてそのような<死者の騙り>は、しばしば、より以上の死を、時には望みながら、時には不本意にも、生み出してしまう。そうした「暴力の連鎖」を終わらせること、そしてそのために「死者の声」をねつ造し、騙ることをやめることは、けっして聖人だけがなしうることではない。なぜならそれは「赦す」ことである必要はないのだから。僕が思うのは、ほんのささやかなことなのだ。ラングストン・ヒューズの、こんな小さな「助言」のように。 「助言」 ラングストン・ヒューズ/木島始 訳 みんな、云っとくがな、 生れるってな、つらいし 死ぬってな、みすぼらしいよ─── んだから、掴まえろよ ちっとばかし 愛するってのを その間にな。 ![]() |
きのうの夜、タイムズスクエアの人ごみの中を縫って歩いていたら、ぼくの右手が前を歩いている人の左手にぶつかり、何かが下に落ちた。勢いよく歩いていたのですぐには止まれず、少し通り過ぎたところから振り返ると、その人が路上の何かを拾い上げながら、こちらを睨んでいた。そもそもぶつかり方がちょっと不自然だったので――ぼくは東京でもかなりのスピードで歩くことに慣れているので、わざとでない限り、そんなぶつかり方をすることはまずありえない――なんかヘンだなと思いながらも「おー、あいむ・そーりー」と言いながら立ち去ろうとすると、しばらく歩いてからその人が肩越しに「エクスキューズミー」と声をかけてきて、振り向くとなにやらまくし立ててきた。顔を見ると、さっきまではかけていなかったはずのメガネをかけて、しかもそのレンズにヒビが入っている。
これはじつは新手の詐欺(というほどのものでもないのだが)で、壊れたメガネ代を弁償しろと言いがかりをつけてくるわけだ。タイムズスクエア周辺では少なからぬ日本人が被害に遭っているという。一昔前は、水の入ったボトルを路上に落として割り、どうしてくれるんだとイチャモンをつけるのが常套手段だったらしいのだが、最近はもっとお手軽にヒビ入りメガネを道具にしているらしい。 ぼくはそのことを知っていたし、だいたい相手の言っていることが全然聞き取れなかったのでなんだかムカついて、ちょっとキツい顔をつくって手のひらを振りながら「のー。のー。えくすきゅーずみー、バイバイ」とか言いつつその場を立ち去った。相手も別に追いかけてきたりはしなかったが、もし何も知らなかったらビビってしまったかもしれない。ニューヨークに観光にこれから来る人は気をつけてほしい。 それにしても、そんなに効率のいい「仕事」だとは到底思えないんだけど、そんなにまともな仕事に困っているのか、それとも当たればでかいのかなあ。どう見ても安物のプラスチックのメガネをかけて文句をつけてきた彼の顔を思い出すと、理不尽とは知りつつも、なんだかちょっと悪いことをしたような気もしてしまうのはなぜなのか。 亀井俊介『ニューヨーク』 レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』 写真は、アパートの近所にあるニューヨーク・タイムズ社のビル。現在、最新の高層ビルを建築中なので、近いうちに移転するのだろう。 ![]() |
ハトが嫌いだ。いや、ハトと書くと「東ハト」とか「ハトヤ」が連想され、反射的にキャラメルコーンが食べたくなったり、でっかい魚を両腕で抱えるポーズをとりそうになってしまったりするが、そんな脱力な雰囲気に誤魔化されてはいけない。改めて「鳩」と書くと、やつらの生々しいというか、いないようでどこにでもいる、あの独得の実在感が感じられてくるであろう。だいたい、なんで扁が「九」なんだ。
バードウォッチャーの雑誌で読者アンケートをとったら、嫌いな鳥の第1位が鳩だったそうだけど、ぼくがやつらを憎むのは姿形ではなく、あの断末魔のような鳴き声のせい。なにがポッポッポだ、全然ちがうじゃないか。うまく表記できないが、さかりのついているときの、「んプォーーンッ! んプォーーンッ!」というような鳴き声というか泣き声を朝6時ごろから、しかも追いはらうまでは延々搾り出しつづける、あの風情が気に入らん。東京でも迷惑を被っていたが、NYに来てからも、ぼくの部家の窓の前の中庭に集まって、時を選ばず、んプォんプォ鳴き喚いている。その音で朝6時ごろに目が覚めてしまう。と思っていたら、久しぶりに暑かった昨日はうるさかったのに、一気に涼しくなった今日はわりと静かなので、気温が高いほど求愛行動が烈しくなるのかもしれん。 というようなことをいつも思っているのだが、昨日の昼間、ロックフェラー・センターのベンチに腰かけて昼飯を食べていたら、どこからか飛んできた1羽の鳩と雀が、ぼくのちょうど目の前に落ちていたひとかけらのパンくずからほぼ等距離に着陸した。果たしてどちらがパンくずをゲットするのかと固唾を呑んで見まもっていたところ、俊敏性で上まわる雀がダッシュしてあっさりとパンをくわえ、敗れた鳩はそのまま何事もなかったような顔をして(というか、何事かがあったような顔は基本的にできないとは思うけど)、そのまま歩み去ってしまった。こういうときに、体格の有利さを活かして、雀からエサを奪い盗ったりはしないのね。さすが平和の象徴と、少し感心させられる光景であった。 『鳥類図鑑』 『私家版鳥類図鑑』 ![]() |
NYに来て数日の間、猛暑の中をひたすら歩いていたとき、虚を突かれたように印象に残った光景は、国連本部の真ん前で行なわれていたユダヤ人の小さな集会。ぼくが通りかかったのはもう終わりにさしかかったところで、十数人ぐらいの参加者を前に中年の男性が演説をしていた。それを少し離れたところで腕組みをした警官が見守っている。そこらに貼ってある小さなポスターには、「イスラエルの兵士に安全を」「ロシアで危険にさらされている兄弟を守れ」といったスローガンが書かれている。エチオピア、という文字もあったように思う。レバノンの市民が、という文字はない。そんな「バランス感覚」は彼らには不要なのか、思いつきもしないのだろう。立ち止まってそんなことをぼんやり考えているうちに、集会は終わったらしく、人びとは淡々とポスターを剥がしたり、握手をしながら語り合ったりし出して、若い白人の警官は、やれやれといった雰囲気で持ち場を離れていった。
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2006年8月1日、「ほんとうに感情労働してるのか?」と疑わざるを得ないアテンダントたちと満員の乗客を乗せたユナイテッド航空機から、ようやくニューヨーク・JFK空港に降り立った瞬間、ドンという音がしそうな熱気の衝撃に襲われた。それから数日間は摂氏40度近い日が続き、マンハッタンの市街を歩いているとほとんど我慢大会のようで爽快なほどだったが、ここ一週間ぐらいは30度に達しない日も多くなって、朝は涼しいぐらいだ。
NYはとにかくどの建物に入っても冷房が強烈で、ニューヨーク大学(NYU)の図書館も半袖のTシャツでは2,3時間いるのがやっと。10度ぐらいの温度変化には気づかないと言われる鈍感なアメリカ人の学生たちもさすがに長袖をきている人が多い。ぼくもいつも長袖のトレーナーを持ち歩いている。こんなに無駄に冷房をしまくっていて、それで原油価格が上がったの何だのと、アホかと思わざるを得ない。ほんとはもっと怒るべきなんだろうが。 いったん落ち着いたアパートが、北向きで暗いとか、家具付きなのはいいのだがベッドが壊れていたりとか、そのくらいままあいいのだが、真裏で建築工事をしていて、どうやらこれからずっと続くらしい。まだ基礎工事の段階なので、入居時に窓からざっと周りを見渡した――といっても基本的に視界はないのだが――ときには気づかなかった。日系の不動産会社A社NY支店のK氏が静かだと強調するのを半信半疑で受け止めていたが、たしかに夜は問題ないけど、昼間は非常にうるさい。A社のK氏、たぶんだましたというより、下調べをあまりせず、調子のいいことを言っていたのだろう。とはいえ、住めないほどではないし、工事は平日の朝7時から午後4時頃まで、しかもわりとだらだらやっているので、ここ数日はそんなにうるさくない。新しい住まいを探しているものの、このまま住み続けるか、迷っている。 今回ぼくはNYUの人類学学科教授のRayna Rapp先生に受け入れ担当になってもらっている。この方はTesting Women, Testin Fetusという本で、出生前診断のひとつである羊水穿刺をめぐる充実した人類学的記述を展開しているのだが、その本でも感じられる目配りや思慮が人柄にも現れていて、親切でよく気がつく人。日本でも短時間お話ししたことはあったのだが、そのときよりはほんの少しこちらの英会話力も向上しているし、最初のランチでは研究関心やお互いの身の上など、それなりに中身のある話もできた。ほっとした。 ともかく、早く生活の基盤を固めねば。 |
ときどき考える。いま日本には外交、民族、ナショナリズムetc.といったかたちで噴出している、まとめれば<内と外>をめぐるいろんな問題があるけど、考えてみれば鎖国をやめてからたった140年、それ以前の鎖国期間のほうがまだまだはるかに長いのだから、この程度の軋轢は仕方がない。急がず慌てず、紆余曲折を経ながらも、自由と平等というモダンの原理を軽薄に捨て去ったりせずに、なるべくマシな社会と政府をつくっていきましょうよ、と。
それと関連して、ときどき考える。故・星新一の超不愉快な傑作「マイ国家」のようなものをおれがつくったとしたら、鎖国ってできるのかな、と。近所の京王スーパーでものを買ってたら、どうみても鎖国とはいえんわな。でも徳川体制だって、外国人との交渉を完璧に絶っていたわけではないし、鎖国の基準ってなんだろう。 |
……というチラシが郵便受けに入っていた(笑)。裏を見ると、読者の声として、「産経新聞、正論と同様に快く思っている」、「世界日報は(……)中立な立場での記事が掲載されているので安心できます」等々のご意見が書いてあり、爆笑。でも、今なら10日間お試しするだけで「特大世界地図カレンダー」をプレゼントしてくれるし、「試読の方に対して、無理な講読のお願いは致しません」と書いてあるから、おれも試読してみようかな。
とはいえ、笑ってばかりもいられない。このあいだ、よく本を読んでいる学生に訊いたら、「原理研」とか「統一教会」とかが何だか知らないと言っていたもんな。それで実害がないのなら、別に知っている必要もないことだけど、ここ数年は自己啓発セミナーにハマって抜けられなくなってる学生が多いみたいだし、同じ流れで今後またどうなるかわからないから、一言注意しておこう。以上の話が何のことだかわからない大学生諸君は、ご自分の大学の学生部窓口あたりに置いてあるはずの、「統一教会の「純潔運動」に注意!」というパンフレットをちゃんと読んでくださいね。 それにしても、『世界日報』殿は、自分たちも団地の郵便受けにチラシを入れているのだから、反戦を訴えるビラを同じように配った人たちを住居侵入で拘留した警察の横暴には当然反対しているのだと信じたい。そのような一貫性がなければ、「倫理観の大切さ」(これも読者の声から)という立派な理念を誇らしく掲げられるはずがないから。 |


























