Top | RSS | Admin

夏の読書 | 2008-08-20 23:52
オリンピック三昧、ながら。

垂直の記憶―岩と雪の7章垂直の記憶―岩と雪の7章
山野井 泰史

山と溪谷社 2004-03
売り上げランキング : 55188

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 難峰ギャチュン・カンでの死闘の記録は圧巻。物質のような「文学」の重量感が腹に来る。

ビヨンド・リスク―世界のクライマー17人が語る冒険の思想ビヨンド・リスク―世界のクライマー17人が語る冒険の思想
Nicholas O’Connell 手塚 勲

山と溪谷社 1996-12
売り上げランキング : 238870

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 原著は1993年に出た超一流アルピニストたちへのインタビュー集。巻頭はラインホルト・メスナー、ほかにヒラリー卿やボナッティ、山野井ともザイルを結んだポーランドの〈タオイスト〉ヴォイテク・クルティカたちにつづいて、ローツェ南壁を単独で陥落したと主張する〈疑惑の人〉トモ・チェセンが巻末を締めるのは刊行年からして仕方がないか。

存在と時間〈1〉 (中公クラシックス)存在と時間〈1〉 (中公クラシックス)
Martin Heidgger 原 佑 渡辺 二郎

中央公論新社 2003-04
売り上げランキング : 127848

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 いまのところ、いちばん新しい邦訳。妙にすいすい読めて、よくわかる気がするのは、錯覚か?

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)
水木 しげる

コミックス 1997-07
売り上げランキング : 5987

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 何十回読んだかわからない。何十回読んでも深〜く染みてくる。「戦前」という馬鹿馬鹿しいまでに乱暴で粗雑だった時代の日本における、少し中心から外れた幼年期の記録。子供たちのやるせない〈運命〉に比べて、妖怪たちの存在はなんと愉しげなことか(学校も試験もないから、だけではない)。

コミュニタリアン・マルクス―資本主義批判の方向転換コミュニタリアン・マルクス―資本主義批判の方向転換
青木 孝平

社会評論社 2008-02
売り上げランキング : 215359

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 現代倫理学研究会の次のテキストということで、今日、4分の3ぐらいまで読んだ。非常に面白いのだが、なんだか話があまりに出来過ぎな気もしなくはない。同じ著者の、『ポスト・マルクスの所有理論』(社会評論社)も古本で買ってみた(現時点で、アマゾンでは取り扱っていないようだ)。

倫理問題101問 (ちくま学芸文庫 コ 24-1)倫理問題101問 (ちくま学芸文庫 コ 24-1)
榑沼 範久

筑摩書房 2007-05
売り上げランキング : 273327

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 電車の中で読んでいる途中。イギリスの哲学誌編集長が書いた、タイトル通りの本。
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
環境リスク学 | 2008-08-03 12:01
環境リスク学―不安の海の羅針盤環境リスク学―不安の海の羅針盤
中西 準子

日本評論社 2004-09
売り上げランキング : 29730

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 2004年の刊行時にはかなり話題になった本をようやく読む。環境リスクとは何か、その意義がよくわかる入門書。

 多くの評者たちが言及してきたように、「思想」の争いには決して決着がないことを若くして悟り、万人が認めうる「ファクト」だけを追究すべきだという信念を、学会や政治家や市民団体からのさまざまな圧力に抗してつらぬく姿勢にも感銘を受ける。だが、むろんそれ以上に大事なのは著者が結果として環境リスク評価に成果を挙げてきたという事実である。良心的な姿勢をもっていても、学問的に見るべきものを生み出せなければ、そんな良心なるものには一文の価値もないのだから。

 けれども、僕が著者を本当に信用できると思うのは、むしろファクト至上主義という信念を自ら裏切るような思索を展開してしまうところである。現実的な問題にかんして、知的に誠実であれば、そうならざるをえないだろう。しみったれた「一貫性」などに納まってはいられないのだ。
 たとえば、健康被害のリスク評価にQOL(生活の質」という概念を導入すべきかどうかをめぐる、以下のような叙述。

 生活の質を考える? それはいいことだ。生きている間も苦しいのだからと多くの方が言います。しかし、実は私はQOLの研究をすること、および、それを使ってリスク評価をすることを研究室の院生やCREST(戦略的基礎研究推進事業)の研究員に長い間禁止してきました。(中略)QOLの評価は、生きている人生の質の評価です。もちろん、それは低下したQOLを回復するために使うのですが、それが完全に回復されない間は、質の低い人生とみなされるという問題が起きてきます。そのことを認めたくなかったのです。その領域は、やすやすと踏み込めるものではないと考えていました。(125ページ)

 池田正行さんの『食のリスクを問い直す』(ちくま新書、2002年)に、かつて、あるエイズ患者が、テレビで“エイズ撲滅キャンペーンというのは、自分を撲滅するキャンペーンのように思える”と語っていた、という記述があります。そうなんです。その人を救うためであっても、低いQOLだと評価されることは、当事者にとってはつらいことなのです。しかし、評価されなければ救済もされないのです。(129ページ)

 これはもはや「ファクト」の領域ではなく、著者が断念したはずの「思想」「イデオロギー」の領域の問題であることは言うまでもないだろう。ここから、ファクト至上といってもそれが通用するのは前提として大方の価値判断が共通している問題についてだけであって、そもそも何をリスクとみなすかという価値判断や世界観が争われうるところでは役立たない、といった論難をぶつけることは簡単なことだ。それはたしかに間違っているわけではないし、倫理学の存在理由はそこに宿るのだとも言える。

 でも、その誰にでもわかる正しい論難をふりまわして、いろんな意見がある、利害対立がある、といった自明のことを言い立てているだけでは、いくらなんでもバカすぎる。それも簡単に認識できることだ。「評価にはこういう難しさもあるのです。しかし、すべてを救うわけにもいきませんので、何らかの評価が必要になるのです」(129ページ)という著者の淡々とした言葉にかくされた重みに見合う「思想」が必要なのだ。「差別」を生みださない行為というものはない。何かを実行し、誰かを救うことは、必ずその影としての差別を顕現させる。まったく副作用のない薬品がありえないように、まったく差別的でない社会的行為というものもない。したがって、何かを行ない、何かを喋るなら、必ずそれによって傷つけられ、相対的剥奪を被る人はいる。それは行為すること、ましてや言論を弄することの原罪のようなものだ。もちろん、何もせず、何も主張しないことで、そうした原罪を免れることはできない。その場合は、いま行なわれている差別を追認するだけのことなのだから。だから、水に石を投げ込むことで生じる波紋をどのように引き受けるかが問題なのだと思う。

 僕にとっては、著者のような人こそが、真に「学者」と呼ばれるにふさわしい(「学者」という称号に、僕はつねに高い価値をおいている)。中西さん(だけではないが)に比べれば、自分はまだまだとてもじゃないが学者などと名乗るのはおこがましい、と感じる。しかし、だからといって、僕が中西さんのようなスタイルの学問を今後やっていくということでもないし、「思想」が無意味だと考えるわけでもない。むしろ逆に励まされる気がする。かつて筒井康隆は、新田次郎の『八甲田山死の彷徨』(だったっけ?)を読んでノックアウトされ、「これこそが小説だと思う、自分にはとてもこんな小説は書けない、だが自分の書くような小説もあってよいのだ、と自分に言い聞かせている」という手紙を新田氏に送ったそうだが、それに倣って、僕には著者のような学問はとうていできないが、いま自分が自分なりに突きつめてやりつづけているような「学問」もあってよいはずだと、自分に言い聞かせつづけよう。
  トラックバック(0) | コメント(1) | Top↑
3冊揃いました | 2008-07-21 12:40
 明治学院大学社会学部による「共同プロジェクト」の宿題がやっと出揃いました。小生は第1巻の第1章と巻末の解説を書いています。いちおう、学部生のゼミのテキストとして使える感じをめざしました(少なくとも僕はそういうつもりで易しめに書いたつもり)。

テクノソサエティの現在 (1) 遺伝子技術の社会学テクノソサエティの現在 (1) 遺伝子技術の社会学
柘植 あづみ 加藤 秀一

文化書房博文社 2007-09
売り上げランキング : 497620

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


オンライン化する日常生活―サポートはどう変わるのか (ソキウス研究叢書 5 テクノソサエティの現在 2)オンライン化する日常生活―サポートはどう変わるのか (ソキウス研究叢書 5 テクノソサエティの現在 2)
宮田 加久子 野沢 慎司

文化書房博文社 2008-07
売り上げランキング : 23594

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


女性医療の会話分析 (ソキウス研究叢書 6 テクノソサエティの現在 3)女性医療の会話分析 (ソキウス研究叢書 6 テクノソサエティの現在 3)
西阪 仰

文化書房博文社 2008-06
売り上げランキング : 80116

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
資本論 | 2008-07-05 17:23
資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)資本論〈第1巻(上)〉 (マルクス・コレクション)
Karl Marx 今村 仁司 鈴木 直

筑摩書房 2005-01
売り上げランキング : 83701

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

「大学院基礎演習」の三つ目のテキスト。冒頭の第一章「商品」と第二章「交換過程」のみ。ドイツ語原文に照らし合わせての正確さについて僕には評価することはできないが、日本語としてはこなれてリズムのよい文章になっている。原語が同じなのでなるべく日本語でも同じ訳語を充ててほしいところで、文章の自然さを優先して訳し分けているところも、そこから原語を類推して原著にあたれないほどの意訳になっているわけではなく、使いやすいテキストだと思った。
 内容は、もちろん、めちゃくちゃ面白い。価値とは何か、交換とはいかなる現象か、社会という概念、人間の同質性という観念の歴史性、貨幣と言語の異同……といった一般的な問題について、いきなり胸ぐらをつかむような鋭さの議論がぐいぐい展開されてゆくわけだ。(マルクスが、商品たちの「社会」をいうのは、人間社会からとってきた二次的な比喩ではない。)

 参考書としてあれこれひっくり返してみたなかで、約20年ぶりに読み直してみて、やっぱりこれは凄い本だったと改めてしみじみしたのは、

マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)
柄谷 行人

講談社 1990-07
売り上げランキング : 131893

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


 それにしても、『資本論』があって、この本だってあったのに、どうしてその後も曖昧模糊とした「構築主義」(=ただの俗流観念論)なんてものが流行ったのだろう? (「クレーム」活動をめぐる社会学的に使用範囲の限定されたハナシとかは別によいのだが)。
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
私の好きな曲 | 2008-06-21 14:58
私の好きな曲 (ちくま文庫 よ 20-1)私の好きな曲 (ちくま文庫 よ 20-1)
吉田 秀和

筑摩書房 2007-12-10
売り上げランキング : 9727

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 いつもポケットに吉田秀和を。ちくま文庫で「吉田秀和コレクション」が出たので、電車のなかで一冊ずつのんびり読んでいこうと思っていたが、そうはいかなかった。ゆったりした文章なのにいつのまにか引き込まれてどんどん読み進んでしまうのは――ただし、時折歩みをとめて自分の音楽体験と(僭越ですが)照らし合わせながら――音楽を聴く人間なら誰でも考えたことがあるだろう素朴な問いの数々に、著者がノンシャランとした語り口で、しかしあまりに適確無比な「回答」をどんどん出していくから。しかもそれは、いわゆるクラシック音楽にかぎられない、普遍の認識なのだ。
 たとえば、ロックを聴いていて、どんなミュージシャンも最初の3、4枚までのめくるめくような閃き・驚きが、その後の作品から消えていくのはなぜなのだろうか、と思ったことのある人は多いだろう。その点について、吉田氏はこんなことを言っている。

人間は、芸術のもっているいろいろな特質のなかで、『ヴェルテル』や〔ベートーヴェンの〕第一交響曲にみられる、あの青春の香り、あの溌剌とした生気とみずみずしい感受性の一体性、自分の前に開かれた世界に向かってまっしぐらに立ち向かってゆく凛々しさ、自分の力の限度を計らず、自分を疑うことを知らないかにみえる勇気、そういう自分をいつでも何かのために犠牲にさしだす用意のある精神のあり方、愛のいちずな烈しさ、こういったものには、とりわけて、敏感に反応するようにできているのだ。そうして、その同じ敏感さが、芸術のなかにある、それとはちがう特質にぶつかると、すぐにはわかりにくい、何か別のものが介入してきた結果生まれたもののように直覚さすのではあるまいか? これはまた、一人の作者の想像の生涯についてみられるというだけでなく、何世代もかかって生まれ、発展し、成熟し、それから衰退してゆく一つの流派の展開ということについても、いえるだろう。
 私は、すぐれた芸術家の手になる青春の作品の価値を認めないわけではない。そんなことはことわるまでもないことだ。またあるジャンルが生まれたときの、その当初のみずみずしさの魅力は、そのあとに来た大家の傑作にはもうみられない力で、私によびかける。
 だが、芸術が芸術としてよりきびしく、より深く、より完成したものになってゆくというとき、そこには青春をこえたものが、どうしてもでてくる。(……)

 なんと平明で、簡単に読み流してしまいそうな文章で、「ほんとうのこと」をこのうえなく適確に言ってしまうのだろう!
 しかも吉田氏は、ここまでに書いたことを(またしてもあっさりと)裏切るようにして、つづけるのだ。

いや、こういってもいけないのかもしれない。青春の作品のほうが、よりきびしいという場合だって、あるいは、あるのかもしれないから。それに、私が尊重しているのは、何も老人臭くなり、分別臭さの加わったものだけだというわけでもない。たとえ、私が、これまでのところ、なぜか芸術家の晩年、あるいは最晩年の作品ばかりとりあげるということになってしまったのに気がついて、自分の好みについて、少々奇妙な、少々うさん臭いものを感じだしてきたのは事実ではあるけれど。

 そして吉田氏は、この「自己内対話」には決着をつけずに、「だが、芸術が、芸術として、より完成したものになるというのは、どういうことか?」という、より本質的な問いのほうへ進み、シューベルトについて語るのである。

 かつて水上はる子は、ロック・ミュージシャンの最高傑作は2枚目まで(あれ、デビュー・アルバムだけ、だったかな?)という趣旨のことを言い、それをロックという現象そのものの本質に重ねていた。正直に言えば、僕も同じように思うことが多かった。たとえば、何千回も聴けば聴くほど、ビートルズの最高の瞬間は「抱きしめたい」と「シー・ラヴズ・ユー」だという冷厳な事実を否定することはできなくなっていくのではないか? ブルース・スプリングスティーンの傑作群の中で僕が最も愛する曲は、3枚目の『明日なき暴走』の冒頭を飾る「サンダー・ロード」だけれども、そこにさえもはやデビューアルバムや2枚目の「都会で聖者になるのは大変だ」「7月4日・アズベリーパーク」のあの息を呑む瑞々しさは薄れているのではないか? U2の名作は『ヨシュア・ツリー』で、たしかにあのアルバムが出た当時ぼくも「何かとてつもないことが起きている」感に打ち震えたものだけれど、でも本当に食い込んでくる曲は「サンデー・ブラデー・サンデー」「ニュー・イヤーズ・デイ」までだったように思えてならない。同じことは、ボブ・ディラン、ザ・フー、エルトン・ジョン、ルー・リード、ブライアン・イーノといった巨匠たちから、少なくともオアシスにまでつづいていると、どうしても思ってしまう。それは、ポール・マッカートニーやブルース・スプリングスティーンの近作がどれほど素晴らしかろうと――たしかにそれらは素晴らしいのだ、まるで昔の作品たちのように!――変わらない。

 けれども、一方でどうしてもそう感じながら、ロックにだって「成熟」があるのではないか、「完成」そのものはなくとも、そのどこか知らぬ方向へ向かって進むということはありうるのではないかと、考えたい気持ちもあるのだ。どこかで、カート・コバーンが言っていたのをうろ覚えに覚えている。あるときテレビでピート・タウンゼントのライブを観て、そもそもザ・フーなんか好きじゃなかったし、もう大した曲を書いているわけでもないのに、タウンゼントのやたらに元気なパフォーマンスを見て、不思議な感じがしたと。それを彼は、必ずしも吐き捨てるように言ったのではなかった。

THE BEATLES 1THE BEATLES 1
ジョン・レノン ジョージ・ハリスン ポール・マッカートニー

EMIミュージック・ジャパン 2000-11-13
売り上げランキング : 859

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

青春の叫び(紙ジャケット仕様)青春の叫び(紙ジャケット仕様)
ブルース・スプリングスティーン

Sony Music Direct 2005-06-22
売り上げランキング : 97123

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ブラッド・レッド・スカイ=四騎=ブラッド・レッド・スカイ=四騎=
U2

ユニバーサル インターナショナル 2006-11-08
売り上げランキング : 176113

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
(輸入盤)
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
性と宗教 | 2008-06-18 19:57
 「大学院基礎演習」の二番目のテキストは、マックス・ウェーバーの名高い短編「世界宗教の経済倫理・中間考察」。ここでウェーバーは、なぜ宗教(プロテスタンティズム)だけが資本主義を生みだす原動力になったのかという例の問いを、戦争、性といった、人間を突き動かす他の要因、いわば宗教のライバル候補との対比において論じている。
 その白眉は性という不可解な力をめぐる深く鋭い洞察だ。ウェーバーがフロイトを高く評価しつつも批判し、同時代の「性の解放」運動にも微妙な距離をもっていたことは、上山安敏『神話と科学』等を通じてよく知られるようになっていると思うが、単なる「堅物」ではない洞察力あふれる人間ウェーバー像を念頭において読むと、「中間考察」における性をめぐる叙述はより一層の迫力を帯びて感じられるようになる。
 そうしたウェーバー像を描き挙げるのに最も功績のあった立役者マーティン・グリーンの『リヒトホーフェン姉妹』には、こんなエピソードが出てくる。ウェーバーは「中間考察」を何度も書き直し、「そのたびごとに性的および美的経験について、より詳しく、より共感をもって述べられているのがわかる」(邦訳240-241ページ)。バウムガルテンは、この拡大の歴史が、

 一九〇八年、ヴェーバーがハイデルベルク城への散歩の途中でエルゼに「でも、あなたはエロティシズムの中に何かの価値が具体化しているとは言わないでしょう」と訊き、これに彼女が「していますとも、美です!」と答えたときからはじまった、と言っている。その彼女の答えにヴェーバーは沈黙し考え込んだそうである。それは彼にとって未知の考え方であった。

 ちなみに「エルゼ」とは、グリーンの本の題名になっている、同時代のドイツの知的世界に独特の存在感を発揮したリヒトホーフェン姉妹の一人、美しく鋭敏なエルゼ・ヤッフェのことである。

 ウェーバーはとにかく本人の文章の密度が凄いので、わからないことが出てきてもとにかくその中に身を投げ出すのがいちばん。お行儀の良い概説書では、その魅力は消えてしまう。まずは邦訳もこなれた『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読むのがいいでしょう。同時代の知的空気を味わいたい人には、上山、グリーンの前掲書。入門書としては、ウェーバーが何と戦おうとしたかに焦点を絞った山之内靖のものが僕は好きで、繰り返し読んでも飽きない。山之内流読解の源流といってもよい、K・レーヴィット『ウェーバーとマルクス』は、いまなお迫力のある論文。 

宗教社会学論選宗教社会学論選
大塚 久雄 生松 敬三

みすず書房 1972-01
売り上げランキング : 183874

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
大塚 久雄

岩波書店 1989-01
売り上げランキング : 2222

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀 (1984年)神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀 (1984年)
上山 安敏

岩波書店 1984-05
売り上げランキング : 340826

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

リヒトホーフェン姉妹―思想史のなかの女性1870‐1970リヒトホーフェン姉妹―思想史のなかの女性1870‐1970
Martin Burgess Green 塚本 明子

みすず書房 2003-02
売り上げランキング : 642786

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

マックス・ヴェーバー入門 (岩波新書)マックス・ヴェーバー入門 (岩波新書)
山之内 靖

岩波書店 1997-05
売り上げランキング : 11787

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

ウェーバーとマルクスウェーバーとマルクス
柴田 治三郎

未来社 2000
売り上げランキング : 365253

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
デュルケームとトクヴィル | 2008-04-16 15:19
 今年は大学院の「基礎演習」という科目をもっていて、院生たちとともに社会学(およびその隣接領域)の古典・準古典をいくつか拾い読みしていく。そういうわけで、最初のテキストにえらんだのは、あまりにもオーソドックスに、これ。

自殺論 (中公文庫)自殺論 (中公文庫)
デュルケーム

中央公論社 1985-09
売り上げランキング : 6450

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 19世紀ヨーロッパの名著の多くにもいえるけど、論述をきれいに整理せず(著者本人としてはせいいっぱいやっているつもりなんだろうけど)、思考のうねりをそのまま文章化したような叙述がすばらしい。あっちへ行ったり来たり、留保つけまくり、ほとんど同じ文章が何度も何度も繰り返される。でもそれは、いまだなき一個の学問分野、言い換えると一個の新たな対象を画定しようという、とんでもない野心の反映なのだ。その対象とは、もちろん「社会」という得体の知れない何かであり、それと相関する限りにおける、「人間」という不可思議な実在である。

 『自殺論』を読むために、最近の研究書も読んどくかということで、まず手にとったのがこれ。

トクヴィルとデュルケーム―社会学的人間観と生の意味トクヴィルとデュルケーム―社会学的人間観と生の意味
菊谷 和宏

東信堂 2005-04
売り上げランキング : 214035

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 僕より6歳ほど若い著者の、さらに4年前の博士論文が元になった本だから、著者34歳前後の作品か。トクヴィルとデュルケームという、言われてみれば並べて論じられることの少ない二人の巨星を、「神が失墜した世界のなかで、人の生に意味を与えるものは何か」「みんな同じ人間などというお題目を、なぜ信じられるのか」という根源的な問いと格闘した思想家としてつなぐ、その鋭利な問題意識とストレートな議論の仕方に、少々たじろぎつつも感銘を受けた。僕がアーレント『人間の条件』から受け取った「みんな同じ人間たちの均質な社会」という近代像を、よりモノグラフィックにきちんと跡づけた作業ともいえる。
 「みんな同じ人間」という観念を明示的に〈疑う〉のは、あまりにも危険な所作だろうか? しかし、ただ「人間」を繰り返すだけでは何も進められないところまで僕らがたどりついてしまっていることは、それをポストモダンと呼ぼうが呼ぶまいが、それとして否定しようがないではないか。「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いは、やはり最高に素朴な問いでありうるのだ(実際にそういうことを口にするやつがどういうやつかはまた別の話)。だから、フーコーの「人間の死」は空疎なレトリックなどではない。「幸福」という最高善こそがまさしく「管理」の相関物であること、もしかしたらそうでしかありえないこと、それこそがフーコーの剔抉した、というかアーレントがもっと直裁に何度も問題化したことだったはずだ。「管理」「監視」「権力」といった言葉を悪の代名詞として使う習慣をやめないと、かれらの問いは見えないのだが、これがそんなにたやすいことではないのは周知の通り。だから、あれほど大衆を軽蔑したアーレントも、「人間の死」を高らかに宣言したフーコーさえも、いつのまにか「悪い権力者をやっつけろ!」的フォーマットに収まる「いいひと」みたいな雰囲気に包まれてしまう。
 人を最も幸福にする権力こそが最もやばいのだ。フーコーさんの言っていたことを素直に読めば、そういう無茶苦茶なまでに身も蓋もない「真理」であることはほとんど自明じゃないだろうか。実は僕はフーコーをそんなに崇めてはいない。かれよりも、たとえばフロイトのほうが思想家としての格ははるかに上だろうと思っているのだが、それでもフーコーさんが何だか「いいひと」みたいに受けいれられるのはちがうだろう、と言いたくなることがたまにある。
 「なぜ人を殺してはいけないの?」という問いを正面から肯定した著者は、次なる標的としてベルグソン研究に進んでいるらしい。その展開に期待しつつ、さらにアーレントやフーコーの位置づけについても教示を乞いたいと思った。

人間の条件 (ちくま学芸文庫)人間の条件 (ちくま学芸文庫)
ハンナ アレント Hannah Arendt 志水 速雄

筑摩書房 1994-10
売り上げランキング : 6927

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

言葉と物―人文科学の考古学言葉と物―人文科学の考古学
ミシェル・フーコー 渡辺 一民 佐々木 明

新潮社 2000
売り上げランキング : 57521

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
 
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
精神分析における生と死 | 2008-01-01 23:14
立木著によると、フロイトの「生の欲動/死の欲動」概念については、これ↓(原著は仏語)がメルクマール的な研究だということだったので、猛スピードで斜め読みしてみた。

Life and Death in PsychoanalysisLife and Death in Psychoanalysis
Jean Laplanche

Johns Hopkins Univ Pr 1985-03
売り上げランキング : 401374

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 ラプランシュの主張は、生の欲動(エロス)にそれとは別種の死の欲動(タナトス)が対立するのではなく、心的エネルギーにはリビードしかない、それがエロスないし死の欲動として現象する、そしてセクシュアリティは死の欲動の側に属する、といったところ。結論部分をざっと試訳してみる。

〔同時に〕ここでわれわれはエロスの登場を目の当たりにする。われわれはこの聖なる力を十分に精査(examine)することができず、ただそれがいかに性欲(sexuality)――精神分析の第一の発見物――と異なるかを強調することができただけである。エロスは、生物の、また精神生活の一貫性や統合的傾向性を、維持し、保全し、増大すらさせようと務めるものなのである。精神分析の創始以来ずっと、性欲がその本質において結びつけること(binding)に敵対的であり、自我の介入を通じてのみ結びつけられうる〔拘束されうる〕「切り離し」(un-binding)あるいは解きほぐし(Entbindung)の原理であったのに対して、エロスとともに現れるのは拘束されているのみならず拘束する形態の性欲(セクシュアリティ)であり、ナルシシズムの発見によって光を当てられたものである。昇華の特定の形態と同様に、自我と生命そのものを維持するのは、その対象に備給し、ある形態に貼り付けられる、この形態の性欲なのである。
 生なるものと恒常(ホメオスタシス)的なもののこの勝利に直面しても、フロイトは、自らが発見したものの構造的な必然性にしたがい、一種の反生命としての性欲(セクシュアリティ)を、〔すなわち〕熱狂的な享受(jouissance)を、否定的なものを、反復強迫を改めて確保した(reaffirm)――精神分析の枠内のみならず、生物学(認識論上の諸区別のカテゴリカルな無視によって)の範囲においてさえも。戦略的にみれば、精神分析の諸原理を生命の次元(vital order)に回帰させることは、ひとつの逆襲(counterattack)に等しい。すなわち、人がそれによって侵略される危険を冒したところの基盤そのものを粉々にすることである。主体の戦略? 物自体の戦略である――もしも、強烈に人間的な戦争を生命に回帰させることがすでに、性欲によって導入された一般的な転覆の起源にあったということが本当だとすれば。
 性欲動のエネルギーは、知られているように、「リビード」と呼ばれた。シンメトリーへの形式的な関心から生じたことだが、かつて死の欲動を指し示すために提案された「デストルード(destrudo)」という語は、一日足りとて生き延びなかった。なぜなら死の欲動は、それ自体のエネルギーを持ってはいないからだ。死の欲動のエネルギーはリビードである。あるいは、よりうまく言い換えるなら、死の欲動とは、リビードの循環を構成する原理としての魂〔精神soul〕そのものなのである。
 最終的な本能二元論の系譜学? もしわれわれが、フロイトの思考においてつねに対立項をなしているタームをつきあわせてみれば、その系譜学派一つの奇妙なキアスムのかたちをとる。その謎を、フロイトの後継者であるわれわれは、解読しはじめたところなのである。(英訳pp.123-124)


 まだよくわからんけど、〈セクシュアリティとエロスはまったく別物、むしろ相対立するもの〉という見方は、フロイトを読んでいるとそうとしか読めない議論に出くわすわけだが、専門家的にもそう読めるのね、ということを知っただけでも収穫。ちなみに、この点について、ジェシカ・ベンジャミンは次のようにコメントしている。

性欲はエロスと融合することもできれば、死や破壊と融合することもできるというラプランシュの主張を、私は正鵠を射ていると考える。精神分析が果たした大発見はこの後者の方、すなわち性欲の否定的形態である。この発見によって、なぜ人間が死と破壊に奇妙にも魅きつけられるのかを解明する道が拓けた。(『愛の拘束』邦訳p.326n)

ラプランシュの主張を敷衍するなら、本能と本能のあいだの真の対立はエロスと死の対立なのではなく、エロスと攻撃性との対立なのであり、そして攻撃性は大抵性欲という形で現れるのである。(邦訳p.99)


愛の拘束愛の拘束
ジェシカ ベンジャミン Jessica Benjamin 寺沢 みづほ

青土社 1996-05
売り上げランキング : 609216

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
精神分析と現実界 | 2007-12-29 15:32
FC2ブログは、1ヶ月更新しないと、勝手に広告がエントリーに侵入してくるんですね。知らなかった。とっくに終わっていなければならない原稿二つ、毎日呻吟しているのだが、遅々として完成せず。。。そのうちの一つは、どうしてもフロイトのなぞりに終始してしまって、まだ誰も言えていないような要素をわずかでも入れるという最低限のことが全然できないのだ……。

最近読んで、考える刺激になった本はこれ。
精神分析と現実界―フロイト/ラカンの根本問題精神分析と現実界―フロイト/ラカンの根本問題
立木 康介

人文書院 2007-07
売り上げランキング : 68043

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 精神分析の高級な理論書としては、「あえて理解を求めない(=実は自分もわかってない?)」的な臭みがたいへん少ないのがよい。たとえば、身体論の章では、「〈精神〉の分析なのに、どうして〈身体〉がかかわるの?」という、非常に基本的な問いを立てるところから考察を始める。その後の議論も、あくまで「精神分析の内部にいる私たち」(p.193)というスタンスで進められていくわりには、「トーゼン知ってるでしょ、説明しないよ(=実はできないよ?)」という身振りは極力抑えられていて、話の筋は十分明晰(それでもやはり、ところどころではぐらかされる感はあるけれど)。とりわけ第7章「死の欲動についてフロイトはなにを語ったか―タナトス問題系の構築に向けて」における攻撃性についての話は勉強になった。道徳は攻撃性(←死の欲動)に由来する。したがって、道徳にはそもそも暴力を止める権能はない……。
 全体として、これ↓を読むときの参考書として好適。
ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念
ジャック ラカン ジャック=アラン ミレール Jacques Lacan

岩波書店 2000-12
売り上げランキング : 163137

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

 しかし、ようやく最近実感できるようになってきたけど、ラカンのフロイト読解というのはしばしば牽強付会すぎて、現代国語的にはムリムリの展開が目立つ。でも結果的に興味深い理論的含意が生じるから、なんとか許されるのですな。例えば、「部分欲動としての性はけっして統合されきらない」というあたり。フロイトが、「自我が介入する前の部分欲動の水準では、愛憎の「憎」の面が位置づけられない」と言って、「だから愛と憎しみは部分欲動が性器体制に統合された後の話なんだ」ともっていく(「欲動とその運命」)ところを、ラカンさんは強引に「部分欲動は統合され得ない、〈全体〉は〈部分〉の上ではなく傍らにある」という話に展開する。これを受けて、立木氏は人間における「身体」の非全体性・非完結性を言う。自己身体の全体像が、鏡像段階を通じて得られるイマジナリーなものであるという例の議論ともつじつまが合うスリリングなオハナシで、それはよいのだが、でもフロイトの論文そのものの読解としてはあまりにゴーマンであることは変わらない。うーむ、自分はこう考えるのですといえばいいところを、なぜ「フロイトがこういっているのを、あんたらはわかってない」という説教にせねばならんのか、ということですな。ジジェクはこの手の「教条主義」が思考のブレイクスルーには前提として必要なんだという趣旨のことを言っていたはずだが、しかしこうまで見え見えの「その手」にどうして多くの人たちが素直に従ってしまうのか、やはりかなり気持ちの悪いことではある。
イデオロギーの崇高な対象イデオロギーの崇高な対象
スラヴォイ ジジェク Slavoj Zizek 鈴木 晶

河出書房新社 2001-01
売り上げランキング : 40270

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
快原理の彼岸 | 2007-11-28 14:51
フロイト全集〈17〉1919‐1922―不気味なもの、快原理の彼岸、集団心理学
須藤 訓任 藤野 寛
岩波書店 (2006/11)
売り上げランキング: 145536
 岩波から刊行中のフロイト全集で、久しぶりに読んだ。これまでは「快感原則(Lustprinzips)の彼岸」と訳されてきた歴史的論文の新しい邦訳。いままでに僕が読んだいくつかの邦訳のなかではいちばん読みやすい。
 種と個との関係をめぐって、「集合的無意識」といったベタベタな概念で個と種の対立そのものをないことにしてしまうことなく、両者の対立点を見据えつつ、なお個の心(反復強迫)からそれを必然的なものとする種の歴史(=進化史)へと突き抜けるフロイト先生。何度読んでも、驚き呆れつつ感嘆させられずにはいない、驀進する思考(≒大法螺)の迫力と、それによってもたらされる人間洞察のキレに惚れ惚れする。

結局のところ、有機体はただ自分のやり方でのみ死のうとするのである。生の番人である欲動も、もともとは死の衛星なのである。その場合しかし、生きた有機体は、その生の目標に短い道のりで(いわば、ショートカットで)到達させてくれる働きかけ(すなわち、危険)には、あらん限りの力で反抗するという逆説が生ずるが、そうした反抗の振舞いは知的追求の努力などではなく、逆に純粋に欲動的な追求の努力の特徴を示すものである。
 しかしよく考えてみるなら、そんなことはありえないではないか!(……)


  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
フョードロフ伝 | 2007-11-07 01:21
 とりあえず、『フョードロフ伝』の邦訳はあるようだ。ただし、新品は版元品切れ。明学の図書館にもない。うーむ。

と思ったら、「本やタウン」で注文できた。
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
福沢諭吉の真実 | 2007-11-05 21:22
福沢諭吉の真実 (文春新書)
平山 洋
文藝春秋 (2004/08)
売り上げランキング: 192142
おすすめ度の平均: 4.0
1 『福沢諭吉の戦争論と天皇制論』も併せて読むべき
4 本書の「完全版」は出版されるべき
5 福沢諭吉のイメージが変わる!

たいへん面白かった。『時事新報』のテキスト・クリティークを通じて、「度し難い帝国主義者・福澤諭吉」という近年の(一部の)イメージを払拭していこうとする著者の手さばきには十分な説得力がある。もちろん、ここでの指摘をふまえた上で、福澤の思想の内在的検討に進んだときに、著者が「自由主義者・福澤」という別の一面化に傾斜しているという可能性はあるだろう。そこでは僕もかつて素描した「優生思想」の問題もクローズアップされてくる。その線でいうと、福澤が最も高く買っていた弟子が、『日本人種改良論』(1884年)の高橋義雄だったというのも興味深かった。
  トラックバック(0) | コメント(2) | Top↑
フリーターにとって自由とは何か | 2007-11-05 21:11
フリーターにとって「自由」とは何か
杉田 俊介
人文書院 (2005/10)
売り上げランキング: 144864

 刊行から2年経ったが、いわゆる「格差」をめぐって考え、行動するために、つねに携えるべき一冊でありつづけていると思った。大事なことを全て、一挙に言い切ろうとする人に特有の、振れ幅の大きい文体だが、意外なまでに堅固な「客観的」状況分析が土台にある。それゆえに、「ぼくら」という一人称の下に叫び、絞り出される、連帯への呼びかけが痛切に突き刺さる。他者への想像力と〈敵対者〉への怒りは、つねに一体でなければならない。
  トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑
紀伊国屋で見かけた本たち | 2007-10-18 01:07
ルネ・シャールの言葉