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まえに読んだ上野修『スピノザの世界――神あるいは自然』があまりに面白かったので、今度はこっちを読んでみた。前著は『エチカ』の解説、こちらは『神学・政治論』のエッセンスというか、スピノザが何をやろうとしたか、そして実際にやったかのポイントを教えてくれる。 これもムチャクチャ面白い。スピノザのテキストそのものの力なのだろうが、この異様な哲学の必然性めいたものをまっさらな読者にこれだけ鋭く伝えることは並大抵のことではない。議論は明快にして粗野でなく、文章は軽快にして含蓄深く、何より、さりげなくアツイ。入門書として最高に近いんじゃないだろうか。 たとえば、『神学・政治論』が書かれた時代背景の説明をする文脈で、上野氏はこんな風に書いている。「アムステルダム市こそはその[言論の自由を実現した]例であり、この都市はそのみごとな繁栄とあらゆる民族の驚嘆とともにこの自由の果実を享受している」というスピノザの文章を引いた後で、 もう二十年以上前のことだが、僕がスピノザにはじめて興味を抱いたきっかけ、柄谷行人がどこかで書いていた「スピノザこそが真に民衆のことを考えているのだが、民衆が喜ぶようなことは一行も書けないのだ」という一節を思い出した。 『エチカ』で完全な決定論を、そしてそれゆえに人間の幸福であることを「証明」したスピノザは、『神学・政治論』では宗教(聖書)と真理が無縁であること、それゆえに敬虔が何よりも尊いことを「証明」したのだという。『エチカ』も『神学・政治論』も、ついでにドゥルーズの『スピノザ』も、僕には荷が重く、何度も拾い読みしては挫折を繰り返している本だけど、上野氏の眼のさめるような説明を読むと、よし自分でもちゃんと読まなければ(翻訳でだけど)と思いを新たにさせられる。というか「自由」について真剣に考えるには読まないとイカンことはわかっているのだが。にとにかく異様な論理であり、異様な魅力をはなつ哲学なのだ。 上野氏の『精神の眼は論証そのもの――デカルト、ホッブズ、スピノザ』もながらく積ん読。この冬、年末年始に読むことに決めたぞ。
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